楽曲の質にこだわる
多くのバンドミュージシャンが演奏技術に傾倒する中、曲全体を総合的に考えてアプローチするという視点が抜けていることがよくあります。
それは、自分のパートが楽曲に馴染んでいるかを判別する耳であるということもできます。
楽器を演奏するようになると、自分のパートだけを選別して聞けるようになります。
(カクテルパーティー効果という現象で、アスペルガー症候群など一部の障害の人を除いて、まずどんな人でも聞けるようになります。)
しかし、そちらに傾倒しすぎると、何時しか全体の音を聞くのを忘れてしまう人もいます。
何がいいたいのか、我々音楽を奏でるものが目指すところは、楽曲をいかに届けるべきかではないかと思うのです。
家で練習して、自分が考えたパートを完璧に弾けるようになるのは簡単です。
どんなに才能がなくても、反復練習さえすれば、いつかは達成できるでしょう。
しかし、それが間違った方向の努力だったら、少し悲しい結果となります。
何故、ここまで全体のスペックにこだわるのか。
それは、現在の音楽の「価値」を見ると、少し納得してもらえるかもしれません。
ライブハウスでブッキングをし、4~5曲のライブをする際、チケット代はいくらでしょうか。
一般的な答えとして、2500円から3500円が相場ではないかと思います。
この金額をどう見るかということなのです。
一方で、メジャーシーンに目を向けてみましょう。
浜崎あゆみでも宇多田ヒカルでも、有名ミュージシャンのアルバムは12曲入りで1枚いくらでしょうか。
大体3500円前後ではないでしょうか。
大手のレコード会社が、スペシャリストを集めて楽曲を作り、プロモーションをかけた値段が3500円なのです。
これが本来の市場の値段なのです。
何が言いたいのか。
それは、本来ライブハウスで3500円取るということは、このメジャーのCDと同等の価値の「何か」があるべきということなのです。
もちろん、これは理想論かもしれません。
しかし、少なくとも、間違いだらけの演奏で、音程もろくに取れないような状態で、3500円とるということが、恥ずかしいことなのだ、ということをどこか心の片隅においておきましょう。
意外に(?)音楽でお金をもらうというのは大変なことなのです。
そして、私たちは、ファッションでもなく、勉強でもなく、音楽で活動をしています。
音楽で活動するからには、どんなに小さくてもいいから、「うまくなる」ということを無視してはいけません。
その理由が、人に聞かせる段階になった時のこうした現状にあります。